日本の農村で着用されていたツギハギだらけの普段着や作業着「ボロ着物(BORO)」の展覧会がスウェーデン国立東洋美術館で開催され、その展覧会が同国の国内において年間で最も優れた展覧会に贈られる「エキシビション・オブ・ザ・イヤー2021」を受賞しました。(受賞者はスウェーデン国立東洋美術館)
日本の農村で昔、着用されていた着物(KIMONO)が、北欧で見事に現代のデザインと調和しています。
作品提供、展示監修を担当した辰巳清准教授にお話をお伺いしました。
ツギハギだらけのボロ着物(BORO)
これらの作品は江戸期~昭和期の日本の農民が着用していたツギハギだらけのボロ着物です。私は東京のアミューズミュージアム(2019年閉館)の館長を10年間しておりましたが、その時の名誉館長が民俗学者の田中忠三郎でした。その方から閉館後作品を譲り受けました。青森県中心のコレクションで、その後私がいくつか集め現在に至っています。
ボロ着物(BORO)から伝わってくるもの
作品からは家族の健康を願う気持ち、生きることに対する執念などが見られます。当時は乳幼児の死亡率も高かった。人間は3日間食べなくても生きられますが、青森の冬に3時間着る服が無ければ死んでしまいます。
着物はその意味で、当時大変な貴重品でした。破れても何度も何度もツギハギを足して、大切に使う。
厳しい自然環境の中で生き抜く執念などが伝わってきます。
展覧会「BORO- THE ART OF NECESSITY」の魅力
受賞理由に「過去と現在、伝統的な手仕事と現代的なデザインが美しく、かつ機能的なフォルムに収められている」とあります。私も同じ感想を持ちました 。シンプルで上質なものを好む北欧らしさも感じ取れますし、冬の厳しさが共通しているところも共感を得られたのではないでしょうか。
「TAF STUDIO(プロダクトデザイナー)」(スウェーデン出身の世界的デザイナー)が展示デザインを、「Banker Wessel(グラフィックデザイナー)」がビジュアルデザインを担当し、展覧会のクオリテイを上げている点は言うまでもありません。
解釈を他人にゆだねる
このような展覧会のレンダー(*)は、作品の扱い方を細かく指定する方もいらっしゃいます。しかし私の場合は違います。スウェーデン国立東洋美術館に展覧会の企画書を出してもらいました、どんな展覧会をするんだと。その企画内容が魅力的でしたので、今回貸し出し、監修することを決めました。
現代を生きる人々が、それぞれの国や異なる文化的なバックグラウンドでボロ着物(BORO)を解釈して欲しいと思っています。寿司も海外では“SUSHI”と呼ばれ、それぞれの国や地域で独自の発展をしています。
ニューヨークでのBORO展はジャパン・ソサエティー・ギャラリーで行いました。現代アートを得意とする同館から、BOROの内側にLEDライトを仕込む展示演出が提案されました。日本では過剰な演出だと受け止められかねない展示手法ですが、ニューヨークの観客の好みには合っているのでしょう。先方のディレクターの提案で進めました。実際にやってみると、ツギハギを重ねられた布様が内側から浮かび上がる見事な演出となりました。 また別のスタッフからは、マネキンを用意するからKIMONOのウエストサイズを教えてくれと聞かれたこともありました。着物はご承知のように体に巻き付けて帯で締めて着用しますので、洋服のようなサイズはありません。曲線のパーツで構成された洋服と直線のパーツで作られている着物の違いを説明して、体型に関わらず着用できる着物の特性を理解してもらいました。 各館の専門性やキュレーター(*)の解釈によって、同じBOROコレクションを貸し出していても、展覧会での表現は大きく異なるのが興味深いですね。
(*編集部注)
レンダー:作品の貸し出しをする人や館
キュレーター:美術館や博物館などで、展覧会の企画、制作を担当する人。映画や舞台の演出家(監督)の役割に近い
イベントの楽しみ方
コンサートにしても美術館にしても、空間を体感して欲しいですね。美術館のエントランスから空間がどう広がっていくのかまたは狭くなっていくのか、コンサートで星空がきれいだった、声を枯らしてアーティストと一緒に歌った、Tシャツが雨でずぶ濡れになったことなど視覚、触覚、臭覚など五感すべてで体感して欲しいです。 友達が待ち合わせに遅れたことなども心に残るイベント体験かもしれません。
編集後記
「ヒット曲を並べただけでよいコンサートは作れない」という先生の言葉が印象的でした。作者やパフォーマーがどういった思いを込め作品をつくったのか、またそれをベースに、照明・演出・構成などを練り、総体として一度限りのイベントや展覧会で何を伝えたいのか。。。イベント体験・展覧会鑑賞に新たな発見がありそうです。